月刊石川遼(vol.1)
6月28(日)石川 遼(よみうりカントリ−)、
諸見里しのぶ(兵庫マダムJGC)の両者、
そろって兵庫県のゴルフ場で優勝した。
二人は真っ赤なウエア−,石川はツア−優勝3勝目、
諸見里今季3勝目である。
石川 遼TV観戦だったが、強くなったと思った。
技術面ではもう十分ではなかろうか。
あとは精神面だと思っていたが、あの12番ホ−ル、
ドライバ−で果敢に攻めたティ−ショット、結果は2OB、
スコア−を4打落とした。そして並ばれた。
17歳の少年、普通はここで落ち込み、スコア−を落とす、
しかし遼くん、16番でチップインバ−デ−持ち直した。

「急がば回らず」が彼のモット-、
最終ホ−ルも池越えの第2打4番アイアンで直接グリ−ンを狙い、
右に少し外しはしたものの難なくバ−ディ−、13アンダ−で2位に3打差をつけ、
堂々の優勝である。
そして全英オ−プン出場権獲得、日本人最年少、17歳にして大舞台に立つ。
今年はセントアンドル−スではないが、ゴルフの聖地であることには違いはない。
存分に雰囲気を味わいながら、また、強者に交わりながら、
さらに高みを目指してもらいたい。
諸見里しのぶ、残念ながら見ることはできなかったが、彼女も今年成長した。
精神面鍛えられてきた。
ここに来て、アメリカ挑戦が活きてきたようだ。
苦労の連続で、やや自信を失いかけていたが、一つ勝って安心し、
二つ勝ってやれると思い、今回三つ勝って自信を持った。
あの傲慢さがなくなり、謙虚さが出てくればさらに勝ち星を重ねていくだろう。
実力は十分なのだから。
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先日のつるやオ−プン2日目に69を出し、
世界のゴルフツア−最年長予選通過記録を樹立した。
また、日本ツア−史上初のエ−ジシュ−ト(年齢以下のスコア−で
ラウンドすること)を、あと一打で成し遂げるところだった。
杉原輝夫プロと小生、同じ時代を過ごしてきた。
いつもその活躍ぶりを見てきた。
茨木カントリ−(大阪)出身の異色のプロとして活躍している。
キャディ−からゴルフの道に入り、従業員を経て20歳でプロ合格、
25歳で日本プロに初優勝、その後54勝している。

決して恵まれない身体(身長162センチ、体重63k)から、
飛距離がほしくて、長尺、物干し竿と呼ばれるドライバ−を振り回し、
ジャンボ尾崎、青木 功と堂々と戦ってきた。長いクラブを使うとい
うことは正確性がどうしても落ちる、
それを研究熱心さと練習によってカバ−してきた。
あの、独特な基本から大きく外れた、腕が曲がったままで、
全身をボ−ルにぶつけていくフォ−ムは彼だけのもの、
決して美しいとか、お手本になるものではない。
ただ、学びたいのは、勝負に対する飽くなき執念とプロ根性、
獲得賞金に燃やす意欲こそが、彼の真骨頂、
あわやエ−ジシュ−トということにつながるのだろう。
テレビなどで時々見せるギャグや冗談から
”関西のドン”と言われる厳しさと気配りを感じる。
15年ぐらい前に前立腺ガンを自ら告白し、手術を避け、
薬で治療、体力と筋力の落ちるハンディ−をいろんな器具や階段のぼり、
青汁などで補いながら競技を続ける。
やはり、杉原輝夫は、我々老人の師であり、
人生のモデルでもある。これからの”現役続行”に応援歌を贈りたい。

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日本が一位通過をかけた2010年ワ−ルドカップ
南アフリカ大会のアジア最終予選で豪州と対戦した。
メルボルンの10万人が入る試合場には、
溢れんばかりの豪州サポ−タ−が押し寄せていた。
中村俊、遠藤、中沢の中心3選手を欠く日本、
どんな試合をするか、楽しみにTV観戦した。
過去日本とオ−ストラリア、双方ともに大変よく似た戦い方で、
いい勝負をしてきた、
前半の動きを見ても、日本が積極的、豪州はすこし、
下がって様子を見る感じがしていた。
そして40分、闘莉王が中村憲剛のコ−ナ−キックにドンピシャリ、
ヘッドであわせ1点先取、そして、後半オ−ストラリアの動きが変わった。
ボ−ルの支配力も増した。強い当たり、反則ギリギリのタックルなど、
そして日本の反則を誘い、二つのセットプレ−から
点取り屋ケ−ヒルに二得点を許した。
これまでの各試合、同じようなパタ−ンを描く、
先に点を取り、追いつかれ、逆転されている。その気にさせると強いということか。
李国秀(元ヴェルデ−総監督)の記事が目に付いた(読売新聞)
「闘莉王以外に値打のある選手は、見当たらない、
”値打ちのある”とは、欧州のチ−ムに入れるという意味だ」と。
また、一瞬の緩みを許して敗れたとも。
たしかに、セットプレ−での二失点、高さに対し不利であっても
”一瞬の気の緩み”で勝負は決まる、特にスピ−ド戦のサッカ−では・・・
闘莉王の試合後のインタビュ−
、「負けて悔しい、チャンスは僕らのほうが多かった、
世界では一回のチャンスで100%確実に決めなければ
後で痛い目にあう」と語っている。
何を言いたかったのか、物足りなさを痛感しての言葉である。
ワ−ルドカップまで丁度一年を残す
「確実に進歩していることだけは間違いないと思う」と岡田監督、
世界ベスト4を狙おうとする日本、何が足りないのか、技術なのか、
個々人の体力なのか、チ−ムの総合力なのか、ど素人の小生には
不明だが残された時間でどこまで、目指すチ−ム作りができるか、
岡田監督にかかっているのだろう。


サッカー日本代表 2010FIFAワールドカップアジア予選突破記念カード
4大会連続4回目の南アフリカW杯を、ウズベキスタン、
パフタコ−ルスタジアムにおいての対ウズベキスタン戦で見事決定した。
しかも、世界最速である。
試合開始9分、中村憲剛のパスを受けたFW岡崎慎司左足でシュ−ト、
相手GKにはじかれたがその跳ね返りに頭から突っ込んだ。
得意のダイビングヘッドで先制した。
結局、この1点を全員のチ−ムワ−クで守り抜いてのW杯出場である。
しかし、深夜のTV観戦だった小生、薄氷を踏む思いのゲ−ムだった。
特に、1点獲得後のゲ−ム、守り一辺倒になり、殆どボ−ルを
ウズベキスタンに支配されていた。
小さい正確な速いパスをつなぎ攻め上がる”岡田ジャパン”、
それが生きていたのは、1点取るまでだったと思う。
よく耐えたというのが私の感想である。
しかし、岡崎選手絶好調である。ここ9試合で7得点である。
今やジャパンのエ−スに躍り出た感がある。
それにしてもレフェリ−(どこの国の人かしらないが)お粗末、
小生の様な素人でも、気分が悪いぐらいだった。
ウズベキスタンに有利な判定が多いと見たのは自分だけだろうか?
中村俊輔イエロ−カ−ド、長谷部レッドカ−ド更に、岡田監督までが退場である。
一人少ない上に、司令官の退場まで審判するとは、呆れたレフェリ−である。
岡田監督、「こんなレフェリ−がいるのかと、驚いている、
選手に指示を出していたら、退場と言われた、何が何だか・・・」と。
しかし、最後のロスタイム4分間は、ヒヤヒヤの連続だった。
さぞかし岡田監督の心中は・・・
さすがに”オカチャン”も立派になった、
「W杯でベスト4が目標、ようやく目標に向けてのスタ−トラインに立てた、
感謝したい」と、のコメント。さあ、これから更に強くなるために
”岡田ジャパン”はどうするか、また、楽しませてくれることだろう。

ジェシ−・ジェ−ムス、ワラニクハウルア(高見山-東関)が定年を迎えた。
45年の相撲人生だった。
S39年2月ハワイから,日本相撲界高砂部屋に飛び込んだ。
当時の高砂親方(横綱朝潮)の、5年間住いと食事は保証する、
との言葉で日本にやってきた。外国人力士のパイオニアである。

熱き男たちの系譜
相撲の世界は、一般の生活習慣と異なる”古い体質としきたり”の特異な世界である。
近代化された現代にあって、まだ頭に”チョンマゲ”を載せている極めて古めかしい環境、
そして、各部屋制度という特殊組織集団である。
「言葉」 「ならわし」 「親方と弟子」 「稽古と食事(チャンコ)」
「上下の関係」 「服装(浴衣)」など日本人以上に苦労の連続であったろう。
「努力と辛抱、相撲は彼女と一緒だった」が、
彼の45年の土俵人生を振り返っての言葉である。
”GO FOR BROKE当たって、砕けろ!!”が彼のスロ−ガンでもあった。
本当によく辛抱したと思う。
16年、97場所にわたる幕内在位は、大相撲記録である。
1980年日本国籍をとり、本名渡辺大五郎 名実ともに日本人になった。
小錦をスカウトし、曙を横綱までに育てた、
日本相撲界に大きな貢献と足跡を残し、部屋を弟子に引き継いで相撲協会を去る。
長男の渡辺弓太郎氏は、スポ−ツ・エ−ゼントとして活躍している。
さて、5月24日(日)の千秋楽、日馬富士が優勝決定戦、
白鵬を破って初優勝した。また、外人力士である。
ここ数場所、いや、何年間も日本人力士の優勝はないのではないか。
現在はモンゴル勢の天下である。
朝青龍、白鵬、と続きまた日馬富士である。
何かモンゴル人同士でまわしている感じすらする。
一時は高見山に続き、武蔵丸、曙と続くアメリカ人の時代があり
ヨ−ロッパからも入門している。そして、いまモンゴルの時代。
大相撲も海外巡業もし、広く世界に知られるようになった、
また世界各国から入門を受け入れている。
”面白い格闘技”として、レスリング,柔道とともに親しまれることに異存はないが、
”国技”である「日本大相撲」もう少し、
日本人が強くならなければ面白くない。
ジェシ−の協会を去るときの一言、
「日本人力士が頑張らなければ面白くない」が気にかかるのである。


45年の相撲人生だった。
S39年2月ハワイから,日本相撲界高砂部屋に飛び込んだ。
当時の高砂親方(横綱朝潮)の、5年間住いと食事は保証する、
との言葉で日本にやってきた。外国人力士のパイオニアである。
熱き男たちの系譜
相撲の世界は、一般の生活習慣と異なる”古い体質としきたり”の特異な世界である。
近代化された現代にあって、まだ頭に”チョンマゲ”を載せている極めて古めかしい環境、
そして、各部屋制度という特殊組織集団である。
「言葉」 「ならわし」 「親方と弟子」 「稽古と食事(チャンコ)」
「上下の関係」 「服装(浴衣)」など日本人以上に苦労の連続であったろう。
「努力と辛抱、相撲は彼女と一緒だった」が、
彼の45年の土俵人生を振り返っての言葉である。
”GO FOR BROKE当たって、砕けろ!!”が彼のスロ−ガンでもあった。
本当によく辛抱したと思う。
16年、97場所にわたる幕内在位は、大相撲記録である。
1980年日本国籍をとり、本名渡辺大五郎 名実ともに日本人になった。
小錦をスカウトし、曙を横綱までに育てた、
日本相撲界に大きな貢献と足跡を残し、部屋を弟子に引き継いで相撲協会を去る。
長男の渡辺弓太郎氏は、スポ−ツ・エ−ゼントとして活躍している。
さて、5月24日(日)の千秋楽、日馬富士が優勝決定戦、
白鵬を破って初優勝した。また、外人力士である。
ここ数場所、いや、何年間も日本人力士の優勝はないのではないか。
現在はモンゴル勢の天下である。
朝青龍、白鵬、と続きまた日馬富士である。
何かモンゴル人同士でまわしている感じすらする。
一時は高見山に続き、武蔵丸、曙と続くアメリカ人の時代があり
ヨ−ロッパからも入門している。そして、いまモンゴルの時代。
大相撲も海外巡業もし、広く世界に知られるようになった、
また世界各国から入門を受け入れている。
”面白い格闘技”として、レスリング,柔道とともに親しまれることに異存はないが、
”国技”である「日本大相撲」もう少し、
日本人が強くならなければ面白くない。
ジェシ−の協会を去るときの一言、
「日本人力士が頑張らなければ面白くない」が気にかかるのである。

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女子プロゴルファ−、斉藤裕子(41)ブア−ナルレデ−スで優勝した。
40歳代の優勝は2005年韓国の具玉姫(48)以降である。
2004年ブリヂストンレディ−スで優勝してより5年ぶり、
二度目の優勝である。
1996年,五洋建設レディ−ス、ミズノレディ−スともに2位、
1997年、イエロ−ハット東京レディ−ス2位タイ、
2005年、伊藤園レディ−ス、ヨネックスレディ−スともに2位と実力はあった。
獲得賞金(年間)も、2004年以降、ほぼ2000万円と安定している。
年齢を重ねるとともに、強くなってきた選手である。
特に師を持たない。独力でコツコツ努力するタイプと見える。
現在はタンパク質中心の食事と2〜3週間集中して練習し、
体とパットの精度を上げることに注力していると。(新聞報道)
優勝インタビュ−では、「長かったな-・・・ゴルファ−になってよかった」と。
まだ、全英に出る夢を持っている。ガンバレ!!
二人のベテラン、アスリ−トについて述べてみたい。
工藤公康(45)横浜ベイスタ−ズ
いわずと知れた、名投手である。
1981年、名古屋電工より西武その後、福岡ダイエ−、巨人、
横浜と移り、28年間のプロ最長記録更新中である。
日本シリ−ズ2度のMVP,ほか多くのタイトルを獲得している。
もう個人としては十分な成績である。
先日の登板、短いイニングの投球を見ても、往年のスピ−ド、球のきれはない、
しかし、チ−ムのため,若い選手の手本になれば・・・の気持ちで、
一日でも長く投げる、という彼の姿勢こそすばらしいものだ!
まだまだガンバッテもらいたい。
金本知憲(41)、阪神タイガ−ス
連続フルイニング出場記録継続中の世界の鉄人。
昨季は400本塁打、2000本安打達成、
今期のタイガ−スは成績よくない、下位に有るが,
その中にあって金本、孤軍奮闘している。力いっぱい、
フルスイングのスタイルがいつも目に映る。若い体力も感じる、
昨シ−ズンオフ,ヒザの手術もしている。
しかし、手を抜かないプレ−ぶりは見事、現状のプロ野球界を引っ張る選手の一人、
シ−ズンオフの隠れたトレ−ニングがあるのだろう。
マリナ−ズのイチロ−同様、スリムな体形を維持している。
ベテラン・アスリ−トの活躍をまだまだ見たいものだ。

スポ−ツは、いつも感動と希望を我々に与えてくれる。
入江陵介(近大)が待望の世界新記録を達成した。
10日に行われた、日豪対抗200m背泳で、1分52秒86で優勝した。
それまでの世界記録は、北京五輪でのアメリカ、
ライアン・ロクテ選手の1分53秒94であった。
1秒08上回った大記録である。
入江自身、北京五輪で期待されながら、5位に終わり、
次のチャンスを狙っていた。
先に行われた日本選手権(4月)には、日本新を出したが、
世界記録には少し及ばず”次で・・・”といっていた。
少女のような細いやさしい声、1m77センチ、
62Kgの体形からも「たくましい男子選手」の印象はない。
なにか、か細い女性っぽい”感じを受ける、笑顔も可愛い。
しかし、彼も北京五輪での敗北で目覚めた。
(北島康介の表彰台を見て、勝たないと面白くない,と思った)
キック力の強化、精神面の鍛錬、前後半のインタ−バルの調整など、
次の世界選手権、さらには次の五輪を目指した練習が続く。
茨城GC西で行われたサロンパス杯女子ゴルフ、
3日目までの成績、マイナス10で諸見里しのぶ、
2位の福島晃子との差2打で首位にいた。
この日ベストスコアの67をマ−クしていた。
2007年日本女子オ−プンを制し初メジャ−、
今回2勝目を目前にした彼女「結果オ−ライでスコア−が
とまってくれているのは調子がいい証拠」といい、
「少しは自分をコントロ−ル出来るようになった」と、
謙虚に述べている。(読売新聞より)
2007年6月ニチレイPGMレディ−スでのことを思い出した(既報)
首位で最終日を迎える前日、目標スコアを66といい、
「自分が一番うまいと思ってやる」と強気にしゃべっていたことを・・・
そして、自信過剰にならなければいいが・・・と懸念したら、
やはり最終日75をたたき大山志保にタイトルを持っていかれた。
この時、精神面の鍛錬がまだ、まだだなあ-と感じていた。
今回、2年経過して、少しは成長したのか、
「少しは自分を・・・」のコメント、優勝するな・・?と思った。
追い上げてくる福島、横峯、クリ−マ−などの出来がどうか、
興味深深だった。
結果、諸見里、落ち着いて、スコアも伸ばし、13アンダ−で2勝目を手にした。
師匠の江蓮 忠コ−チも彼女のメンタル面の成長を語っている。
再びの、海外挑戦も近いかもしれない。

4月29日、Kスタ宮城での対日ハム戦で監督通算1500勝を達成した。
この日の楽天投手は、マ−君こと田中将大であった・マ−君に
とっても4戦連続完投勝利で、立派に一流投手の証明をした。
昭和10年生まれの野村、29年南海入団、
大阪中百舌鳥球場(今はない)でしごかれているのをよく見かけた。
2年後輩で近くの高校野球部で、毎日練習をしていた小生、
時には球場に足を運んだり、また選手の何人かはわが高校に来たりしていた。
当時、二軍監督やコ−チから盛んにしごかれていた彼の姿が目に浮かぶ。
その後、南海の中心選手となり、65年に三冠王、ホ−ムラン王も9回、
MVP5回、打点王7回など球界のトップ選手に上りつめた。
野球殿堂入りは89年である。
南海入団から大成するまで彼を育てたのは、
歴代通算勝利監督一位の親分こと鶴岡一人氏(1773勝)である。
鶴岡氏との出会いがなかったら、今の野村克也はなかったと思う。
同年代で同じ野球をやってきた小生、今日までずっと彼を見てきた。
南海でのプレ−イングマネジャ−時代、(鶴岡氏も選手兼務)512勝、
ヤクルト時代628勝、阪神時代169勝、楽天での191勝、
歴代5人しかいない大記録である。
彼の監督としての功績は1500勝だけではない。
ヤクルト時代、日本一と言われた古田捕手を育てたこと、
また「ID野球」という一つのジャンルを作り上げている
。デ−タ−と頭脳で戦う野球である。WBC世界一など
日本プロ野球のレベルアップに貢献した一人でもある。
「ゼニのとれる選手になれ!ゼニはグランドに落ちている」で有名な鶴岡監督、
見る人の度肝を抜く選手起用で「魔術師」と異名をとった三原 脩氏(1687勝)、
巨人の基礎を築いた藤本定義名監督(1657勝)、
投手の「ロ−テ−ション」を初めて取り入れた。
巨人の二次黄金時代を築いた名将、水原 茂氏(1586勝)、川上哲治氏の師匠である。
このようなそうそうたる名監督に名を連ねた野村克也氏、
これからどれだけ勝ち星を積み上げるか、
弱小楽天をどこまで強いチ−ムに育てるか、真の名監督といわれるために、
果たして何をやってくれるか、楽しみに見ていたい。


この日の楽天投手は、マ−君こと田中将大であった・マ−君に
とっても4戦連続完投勝利で、立派に一流投手の証明をした。
昭和10年生まれの野村、29年南海入団、
大阪中百舌鳥球場(今はない)でしごかれているのをよく見かけた。
2年後輩で近くの高校野球部で、毎日練習をしていた小生、
時には球場に足を運んだり、また選手の何人かはわが高校に来たりしていた。
当時、二軍監督やコ−チから盛んにしごかれていた彼の姿が目に浮かぶ。
その後、南海の中心選手となり、65年に三冠王、ホ−ムラン王も9回、
MVP5回、打点王7回など球界のトップ選手に上りつめた。
野球殿堂入りは89年である。
南海入団から大成するまで彼を育てたのは、
歴代通算勝利監督一位の親分こと鶴岡一人氏(1773勝)である。
鶴岡氏との出会いがなかったら、今の野村克也はなかったと思う。
同年代で同じ野球をやってきた小生、今日までずっと彼を見てきた。
南海でのプレ−イングマネジャ−時代、(鶴岡氏も選手兼務)512勝、
ヤクルト時代628勝、阪神時代169勝、楽天での191勝、
歴代5人しかいない大記録である。
彼の監督としての功績は1500勝だけではない。
ヤクルト時代、日本一と言われた古田捕手を育てたこと、
また「ID野球」という一つのジャンルを作り上げている
。デ−タ−と頭脳で戦う野球である。WBC世界一など
日本プロ野球のレベルアップに貢献した一人でもある。
「ゼニのとれる選手になれ!ゼニはグランドに落ちている」で有名な鶴岡監督、
見る人の度肝を抜く選手起用で「魔術師」と異名をとった三原 脩氏(1687勝)、
巨人の基礎を築いた藤本定義名監督(1657勝)、
投手の「ロ−テ−ション」を初めて取り入れた。
巨人の二次黄金時代を築いた名将、水原 茂氏(1586勝)、川上哲治氏の師匠である。
このようなそうそうたる名監督に名を連ねた野村克也氏、
これからどれだけ勝ち星を積み上げるか、
弱小楽天をどこまで強いチ−ムに育てるか、真の名監督といわれるために、
果たして何をやってくれるか、楽しみに見ていたい。

福原愛物語
横浜港の開港150周年記念として、
卓球の世界選手権横浜大会(個人戦)が
28日横浜アリ−ナで開催される。
日本での開催は、2001年大阪大会以降8年ぶりとなる。
日本代表となる選手の現在の世界ランクを見てみると、
男子シングルでは、水谷 隼(明大)22位、
韓陽(東京ア−ト、中国より帰化)23位、
女子シングル 平野早矢香(ミキハウス)19位、福原 愛(ANA)31位、
福岡春菜(中国電力)37位、いずれもまだまだという感じ。
若手中心のチ−ム編成で、ダブルスに勝機を目指したいと
前監督の近藤氏の弁だったが、果たして・・・
昨夏の北京五輪では地元開催もあって、
中国勢の強さばかりが目に付いた、
この中国勢殆どメンバ−は変わっていないだろう。
どんなゲ−ムになるか???
北京五輪時と変わったことが、一つあるらしい。
それは、ラケットに張り付けるラバ−、
従来は接着剤として使用されていた「有機溶剤」が、
人体への悪影響が指摘され、使用禁止となった。
ラケットの表裏に異なったラバ−を張り、
ボ−ルに変化を与える選手が多かったと思われるが、
どのような形で、今回のル−ル変更が現れてくるか、これも面白味の一つである。
福原 愛もこの変更で、若干困惑した一人だろう、
人気と共に日本チ−ムを引っ張るまでに成長してきた”泣き虫愛ちゃん”
もう大人の戦い方を身に付けてもいい頃だ。
「卓球日本」復活への道はまだ遠い。

イチロー頭脳
15日(日本時間、16日)のエンゼルス戦で通算3085安打の日本プロ野球記録
(張本 勲氏)に並んだ。
先のWBC(世界ベ−スボ−ル・クラシック)で不振を極め、
苦しみの中でも、日本チ−ムを引っ張り、
決勝戦でのあの劇的な逆転打は記憶に新しいところ、
名実共に日本チ−ムの中心だった。
その為の精神的な疲れからか、胃潰瘍を患い大リ−グ開幕戦は
故障者リストでのスタ−トとなった。
彼にとっての開幕戦は、このエンゼルス戦であった。
そして2安打、それも7回の満塁ではホ−ムランという記録に、
自ら花を添える?快打”で大記録を達成した。
当日、シアトルまで観戦に出向いた
張本 勲氏の目前での見事な彼のオ−プンゲ−ムだった。
記録については、「日本とアメリカ場所が違うから・・・」と
先輩への気遣いを見せる。
新記録はもう時間の問題(翌日、3086安打達成)
それよりも9年連続の200本以上安打が彼の頭にはある、
病気で8試合出遅れたこと、” 大きい”と語っている。
毎試合、一番でライトの出場が、当たり前の姿であった、
居ないのは”何か変”と、チ−ムメ−トの城島が語っている。
復帰したこと、大変喜んでいる。
多くの新聞で、「日本タイ記録」のことは報道されている。
私はあえて「イチロ−の精神力、むしろ根性」について、1つ2つ述べてみたい。
ひとつは「肉体のコントロ−ル」
年齢を重ねるにつれ、体重、筋力、走力、眼力は変化する。
これらを35歳の現在までほとんど変化なく、維持している姿に驚く。
トレ−ニングでカバ−できるものだけではない。バッタ−にとって、
何よりも重要な”目の衰え”をどのようにカバ−しているのか?
「腹が出てきたら、野球をやめる」という、イチロ−、いつまでもスリムである。
自宅のトレ−ニングル−ムには、多くの器具や設備があると聞く、
それだけではなしえないものがたくさんある。
二つ目は、「日常生活のリズム」
ごく一般的に言うと、野球選手などはシ−ズンとオフシ−ズンが
明確に分かれている、オフはゆっくりし、食事などもカロリ−の高い物になり勝ち、
アルコ−ルもつい飲みすぎる。そして、体重は増加する、
一度ウエイトが増えるとなかなか減少しない、増えた体重でヒザ、
腰への負担は増えてくる。結果、肉体の老化が始まる。
シ−ズンオフ時も体重コントロ−ルが何年,何十年できる選手は
ほとんど見かけない。数少ない一人が”イチロ−”である。
毎日の起床から就寝するまでのル−ティ−ンが同じだという。
また球場入りから、ベンチでの動き、毎日同じだと、チ−ムメ−トの城島が語り、
びっくりすると述べている。
また、大記録達成も「小さなことを一つ一つ積み上げていくこと」で達成されていくと、
自ら語っている。
永年の生活習慣、ル−ティ−ンを自ら作り上げ、守り抜いていることに驚嘆する。
三つ目は、「気持ちの持ち方」
彼の発するコメントを聞いていると、少し変わっていると思う。
非常に強気でものを言う、そして謙虚である。
自分の達成していく記録などは、あまりこだわりがないように見える。
達成してしまえばそれは彼にとって、
もう過去のものになる。次のタ−ゲットに目はいっているのだろう。
喜びの表情や笑顔も殆ど見ない、時にはそれが”傲慢”に映る。
しかし、彼の中では当たり前のこと、そして何よりも感じることは、
「自分に対して、常に勝負していること」自分に勝てないで他人にも、
記録にも勝てないと思っているようだ。
イチロ−のことについて、よく書いている、
ジャ−ナリストの義田氏、「50歳まで現役でやると、
イチロ−自ら言っていると」それまで、今のスリムな体形を保ち、
活躍するためのトレ−ニングを自らに課しているのだろう。
いずれにしても世界に誇れるプロスポ−ツ人である。
誰もなしえなかった、メジャ−新記録の9年連続200本以上安打を是非達成してもらいたい。彼の上には”神が降りてくる”のだから・・・











